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夜に駆ける(1)
院長ブログ
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2026/04/26 院長のひとり言
夜に駆ける(1)

病院勤務医時代、僕は当直の朝が憂鬱だった。 同期に「当直の日はテンション上がるわ」と語る救急科の女性医師がいるが、僕の知る限りでは稀有な存在である(だから救急医になっているのだけど)。日勤からの当直、そしてまた朝起きたら日勤、さらにその日の残業をこなして帰宅する頃には、いったい連続で何時間勤務していたのだろうと思った。僕が勤務してきた病院に限った話ではなく、勤務医の労務実態はおしなべてそういうものだ。ただ、深夜に救急車を受けることも、他院で手に負えなくなった重症患者の転院搬送を受けることも、決して嫌いではなかった。しばしば先輩や同僚から「お前は(重症患者を)引くよな」と言われた。敗血症性ショックに陥った結石性腎盂腎炎の患者さんに、昇圧剤を使用しながら緊急で腎瘻(じんろう)を造設して、バイタルサインの落ち着いていく様子を早朝のICUで見るひとときは、安堵と充足感を静かに噛み締めることができた。

 

しかし、いかんせん僕は当直の過ごし方が下手くそだった。いつ鳴るかわからないPHSを枕元に置き、「今のうちに寝ておくしか」とわかっていても、眠りは常に浅い。朝まで一度も鳴動しなかったとしても、1時間おきに目が覚めてしまうのだ。その度に「気づかぬうちに着信を見逃していないか」と履歴をチェックせずにはいられない。 こうした場面で平然と眠りにつける図太さが、僕には欠けていた。どんな環境でも眠れるというのは、人間にとって決定的な生命力だと思う。災害に襲われたときの避難所でも、ゴキブリが平然と走る年季の入った限界合宿所でも、長距離ドライブの最中のパーキングエリアでも、すこんと眠りに落ちることができるか。雑魚寝でも寝袋でも気にしない人と、枕が変わるとダメだとずっと目が覚めてしまう人だと、圧倒的に前者の方が生命力は高いだろう。ちなみに、妻はどんな狭小な場所で窮屈な姿勢でも「秒で眠れる」と言うし、実際秒で寝てしまう。仮にハリウッドのパニック映画のような過酷な環境下に置かれたとして、最初から死亡フラグが立っているのは僕であり、生き残るのは間違いなく彼女の方だろう。

 

さて、泌尿器科医の日常は、手術か外来の二択である。どちらも本来は、当直明けの冴えない頭で行っていい業務ではない。一睡もできなかった夜でも、翌日のスケジュールは容赦なくぎっしりと詰まっている。 土日に当直業務が入っても、平日に代休を取れないため、休む間もなく連勤となる。2024年から医師も働き方改革が謳われ、時間外労働の上限も設けられたが、現場はどうだろう。先日、同窓会で勤務医の同期に聞いたところ、いまだに当直明けは帰宅できないという。何ひとつ状況は変わっていないのだ。でもそうやって笑って語る彼らを、心底すごいなあと思う。僕は今や高度医療の最前線から降りた立場であるから、彼らの(愚痴言ってもしょうがないぜ的な)ふっきれた笑顔に一抹のやましさを感じてしまう。

 

同時に、彼ら勤務医の労働環境が、パイロットのように厳格に管理されるようになってほしいと願っている。病院全体を見渡せば、看護師も技師も事務職も時間交代制で動いている。一方で、医師は一部診療科を除けば、日勤・夜勤などのシフトという概念はない。強制力を持ちながらもっとシビアに勤務医の労務管理を行う部署があってもよいのではないかと思う。13時間の国際線を終えたばかりのパイロットが、そのまま折り返し便の操縦桿を握ると言ったら、搭乗を希望する人はいないだろう。患者さんにしても、自分の執刀医には高いパフォーマンスを発揮してほしいと望むし、まさかその執刀医が当直明けである可能性があるとは想像していないだろう。 逆に、医師側の視点で翌日の業務を考えたとき、深夜の救急要請に一瞬の躊躇も抱かない医師などいるだろうか。救急車を断りたいと魔が差す瞬間があるとして、それは個人の資質に帰させられる問題ではないはずだ。

 

「先生、いつも病院にいますね」 と入院患者さんに声かけられたことのある医師は少なくないと思う。その言葉は、いささかの賛辞を含んでいたかもしれないけれど、システムの未熟さを露呈する言葉でもある。「医は仁術」とはいえ、医療の質という本来公的な価値が、主治医の矜持という属人的な要素に依存しすぎている。すべての診療はチームで駆動し、一人ひとりが十分な休息を得て、明日のパフォーマンスに備える。そんな当たり前の環境が整わなければ、若手に「プライドを持て」と説くのは虚しい。「一般的な診療がすべて公定価格で決まり、かつ医療へのアクセスが非常に容易」という日本式の特異なシステムがきしんで、ハードランディングしてしまわないためにも、これからの担い手を守ってほしいと思っている。

 

僕は医療経済に明るいわけではないが、ひとつの方向として「病院の集約化」は避けられないと感じている。都心を歩けば一区画ごとに総合病院に当たってしまうが、それらが個別にマンパワーを削り、同じような高度設備を整えている。24時間休むことのないシステムを維持するためには、どんなに病院規模が小さくとも一定のマンパワーは必要となる。それを各病院が自前の少ない人手から差し出している。 救急の持ち回り、医薬品の共同購入、そして各々の得意領域の明確化。近隣病院と連帯を組み、各々が「全科目で平均点以上」を目指す過度な負担から解放されるべきではないだろうか。また、勤務医が高度治療に集中できるよう、外来業務だけではなく、ある程度侵襲やリスクのある治療も診療所が引き受けていく流れになるだろう。診療所側の「治療の高度化」もまた、自ずと要請されるようになるはずだ。

 

当院に来てくれている非常勤の若手医師たちは、「将来的に開業は考えていません」ときっぱりと言う。僕の同期や後輩たちの進路を見ても、報道されているほど特定の領域だけに潮流が固まっているとは感じない。こんなにもきれいに進路や専攻がばらけるのかと思うくらいだ。現況に問題が生じるとすぐ「昔はよかった」と懐古されるが、ある集団を総体で見れば、時代ごとに特別優秀だったり劣っていたりすることなどないのだと思う。いつの時代もエネルギーの総量は変わらず、才能は自然とばらけていく。その多様な意志のありように、僕は静かな感嘆を覚える。本当にそうなのだ。大学病院に在籍していたころ、僕はとんと研究に身が入らなかった。自ら希望して大学院に入学したはずなのに、大学院生であることの価値を見出すことが途中から難しくなった。かたや立派な臨床研究を積極的に発表し、手術の合間に論文を作成し、海外学会の壇上に登る同期もいた。同じ道を目指したはずなのに、かくも違うのかとがっかりもした。だからこそ、最前線に残ってくれる彼らが、明日の憂いもなく「当直の夜に駆けられる」ような、真っ当なシステムを切に願わずにはいられない。

 

そして、いつ患者側になるかもしれない一市民として願うのは、この脆弱なシステムを皆でじっくりと育んでいくことだ。子どもが小さいときに深夜ひどいクループを発症して、どうしようもなく夜間救急を利用したことが一度だけある。当直帯の病院の対応についてつい文句を言いたくなる気持ちもわかるのだけれど、石や卵を投げつけても、残念ながらシステムが強固になることなどない。ぎりぎりのところで成り立っているのだから。できる限り休日夜間にトラブルが生じないよう先回りして考慮するのは、診療所を始めとする日中の診療の責任である。そして症状の憂いがあればそれを日中のうちに解消しておくのは、いつでも夜間の救急患者になりうる私たち全員の切実なマナーであると思うのだ。