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今回も当直にまつわる話だけれど、前回ほど堅い内容ではない。子どもたちが夜な夜なYouTubeで、ヒカキンのホラーゲーム実況を見ている。動画リストには『夜勤事件』やら『夜勤清掃』やら、そんな怪しげなタイトルのソフトが並んでいる。画面の左下にヒカキンの顔がワイプで抜かれているから、本来なら子どもが苦手なはずのホラーもおもしろおかしく見ていられるようだ。
ふとワイドショーなどのテレビ番組のワイプってなんのためにあるんだろうと思ってしまう。ワイプ芸という単語が流布するほど、出演者たちは大袈裟に表情を作ったり必要以上に頷いたりしているのだけど、見ているとちょっと疲れてしまう。知らず知らずのうちに感情を強制されているからだろうか。彼らだってもうちょっと無心でVTRを見たいかもしれない。視聴者は食レポ見ながら、今夜の晩酌のあてとか冷蔵庫の食材の賞味期限とかに思いを馳せることができるけれど、いつカメラに抜かれるかわからない出演者はリアクションを取り続けないといけないわけで、仕事とはいえ頭が下がる。もっとも、YouTube実況の世界になるとやかましさこそが売りで、ヒカキンのワイプはその100倍以上うるさい。配信者ひとりしかいない空間であのテンションを保つことができるのは、もう才能なのだ。再生回数も跳ね上がっているので、自分では怖くてゲームできないけど他人がやっているのは見たいというニーズは一定数あるのだろう。ヒカキンの絶叫に合わせて、うっすら目を開けて画面を眺める子どもを見て、ああ、病院の当直も結構ホラーだったよなと思い出した。
総合病院の夜は、救急科・内科・外科・麻酔科・産婦人科など、科目の異なる複数の医師が当直にあたる。当直室が並ぶフロアがあり、おそろしく薄い壁の向こうからPHSで話す会話や深夜番組の音声などが聞こえてくる。たまに、穏やかではないヒートアップした会話が漏れ聞こえてくることもある。相手は病棟の看護師か、あるいは救急隊か。そんな声で目を覚ますこともあるけれど、そこには明確な「人間の気配」が満ちており、特にひとりきりで当直しているという感覚はない。病棟も多く、ナースステーションには常に複数の看護師が常駐し、煌々と蛍光灯が灯っている。技師もいれば、事務員も警備員もいる。決して少なくない人数の人間が、それぞれの持ち場で病院の一晩を支えているのだ。
しかし、入院施設のある小規模病院だと、当直医がひとりであることが多い。フロアに自分ひとりしかいない、というのもザラになる。そんなところで当直をしていたことがある。その病院は、山手線のとある駅から歩いて5分ほどの場所にあった。交通量の多い大通りからひとつ路地に入ったところにある、10階建てくらいのペンシル型の無機質な建物であった。病院の看板がなければ、周囲に林立する雑居ビルとも見分けがつかない。夜8時に一度だけある定時の回診を除けば、めったに病棟からお声がかかることもない、俗にいう「寝当直」というやつだ。救急を受け入れていない療養型病院だと、夜間にコールがあるとすれば、急変かお看取りのいずれかである。夜間、その病院にいるのは、1階にいる事務員がひとりと、離れた階の病棟にいる2人の看護師、そして当直医である僕ひとりだけだ。
当直室という名の部屋は、過去には診察室であったのか、あるいは別の用途だったのかはわからないが、そこにあるのは、『相棒』の取調室に置いてありそうな事務的な机と、背もたれが体重を支えきれないキャスター付きの不安定な椅子、うなぎの寝床のように細長いスペース、奥にあるミニマムサイズのテレビ、歴代の当直医たちが読み捨てた漫画、そして病室のベッドより硬く冷たいシングルベッド。おまけに部屋は道路に面しており、オフィス仕様の全面ガラス張りになっているため、夏は暑く、冬になると足元の電気ストーブも効かないほど骨身にしみて寒い。朝起きると確実に腰が痛くなり、のどもいがいがする。
そして、問題はシャワーである。ひっきりなしにPHSが鳴り続ける総合病院の当直時は、シャワーも浴びずに過ごすことが多かったが、こちらの当直は時間の面では問題ない。ただし、シャワー室が当直室とは離れた最上階にあり、エレベーターの扉が開くと、そのフロアが漆黒の闇に包まれているのだ。急ぎフロアの電気をつけて冷たい脱衣所に入り、シャワーを浴び、また電気を消して暗黒のフロアからエレベーターに乗り込む。そして当直室のあるフロアに戻ると、エレベーターの扉が開いた瞬間、闇にたたずむ病院創業者の大きな胸像が目に飛び込んでくる。これはあまり心臓に良いとは言えない。なぜこの配置にしたのだろう。
横になっていても、隣の検査室から聞こえてくる業務用冷蔵庫のブーンという稼働音や、廊下を歩くコツコツという足音(事務員さんの見回りであってほしい)が嫌でも耳につく。そんな環境で長時間すごしていると、病棟から呼ばれなくても、なぜだか眠れない日もある。ふと目が覚めても、時計の針はまだ2時。そんなときは、ふとカーテンを開け、眼下の真夜中の小路をのぞいてみる。路地裏で電灯は少ないが、それでもたまに人が歩いている。住宅街ともオフィス街ともいえない場所だが、丑三つ時に外を歩く人にも、それなりの事情はあるのだろう。まさか、路地裏の病院の2階から、当直中の医師がじっと見下ろしているとは夢にも思っていないはずだ。もし気づかれたら、あちらにとってそれこそ十分にホラーかもしれないけれど。
研修医時代からさかのぼっても、心霊現象や超常現象みたいなものを経験したことはない。しかし、ただひとつだけ。思い返せば、妻と出会ったのも当直中の、夜中2時ごろのことだった。誰もいない薄暗い廊下で、たまたま通りかかって言葉を交わしたのが、すべてのきっかけだった。あの瞬間がなければ、またずいぶんと趣の異なる人生になっていたのかもしれないし、今の自分の置かれている環境もだいぶ違ったのかもしれない。縁とはおそらく純粋に偶然の産物なのだけど、そこに不可思議さやおかしみのようなものをつい見出してしまうのである。