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赤紙
院長ブログ
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2025/02/20 院長のひとり言
赤紙

世が世なら戦時の召集令状であるが、それは結婚披露宴の招待状に入っていた。しかも社会人になって初めての結婚式であった。封筒の中に小さな赤い紙が入っており、「一言ご挨拶を賜りたい」との内容だった。七夕のねがいごとを書くようなかわいい紙だったし、しかも結婚式というのがどういうものかも思い出せなかったこともあり、「まあみんな順番に立って一言ずつその場でなんか言うのかな」という飲み会の発想をした。そのため直前になるまでまともに取り合わなかった。数日前になっていざ場所と時間を確認するために招待状を引っ張り出したとき、小さい紙ながら、その赤さが気にかかった。ごんごんと警鐘を鳴らしているようだった。友人の新郎に「あの紙だけどさ」とメールしたところ、「ん?友人代表のスピーチだよ?」と返信が来た。なにぃ!なんなら高校卒業以来会ってないんですけど!こっちは一度もまともに結婚式参加したことないんですけど!

 

しかもご良家の医師同士の結婚であり、場所は帝国ホテルである。来賓も、教授を含めた錚々たる顔ぶれであろう。まずい。急いで裏紙に書き殴った。理系の受験戦争に辟易した僕は、大学の牧歌的な教養課程2年間を文系のクラスで埋め尽くし(文学哲学倫理学心理学語学etc.)、大量の期末レポートに窒息しそうになった。そこで培った土壇場の筆力が生きる時である。短歌の授業で愛やら恋やらを恥ずかしげもなく詠んで披露した記憶が生きる時である。晴れの場においては、気の利いたエピソードの一つや二つ披露しなければならない。しかし、それを中高6年間男子校のむさ苦しい空間での記憶からひねり出すのは至難の技だった。男子校の笑えるエピソードなんて大概が下ネタである。

 

うーんと唸ってひねり出した、A42枚にびっしり書いた下書き。今ならAIがぱっとしない台本を一瞬で作ってくれるだろうが、あの時代はもちろんなかった。前日の夜まで細かな推敲に費やされ、まともに眠れなかった。当日の朝になったら、案の定、極度の緊張に襲われた。研修先の三島から新幹線で東京に出てくる間、般若心経のごとくぶつぶつ繰りかえした。男の友人代表たるもの、カンペを見るわけにいかないのだ。初めて入る帝国ホテル、懐かしい高校の友人たちとの再会も心から喜べない。大きな会場に入るなり、ホテルマンの方から「内田様でしょうか。本日はよろしくお願い致します。」と声をかけられて、マイクにほど近い座席に案内された。豪勢な牛フィレのステーキも砂を噛む思いで食道を通過しなかった。

 

順番が来た。中学受験塾のエピソードから始め、高校時代の彼の活躍を経て、最後にくすっと笑える(たぶん)オチをつけた。開始早々から会場の皆さんの反応が良く、ほどよく緊張が解けたのが功を奏した。式が終わってから、知らない参列者の方々から、アナウンサーか何かされているのですかと尋ねられたのは結構嬉しかった。ただの研修医だけれども、あのときは何か憑依していたのかもしれない。強烈な経験だったのか、不思議なことに今でも挨拶の一言一句をそらんじることができる。

 

自分の結婚式は親族のみで挙げた。僕も妻も、友人や職場の関係者に囲まれるのは少し気後れしたのだ。披露宴も行わず、あったのはこじんまりとした食事会だった。だから緊張感を伴う友人代表の挨拶などもなかったのだが、今は亡き父が新郎父として挨拶に立った。そして、おもむろに「人生で大事な3つの袋」の話を切り出した。まさかそんな古典的な!と嫌な予感がしたが、最後まで特にひねりもない3つの袋の話だった。挨拶を頼まれるのも緊張するが、挨拶をもらうのも割と胃痛がするものなのだ。挨拶って本当に難しい。あれから10年以上経ち、またいつか挨拶する機会があるかなと思っていたが、友人代表の挨拶などそうそう回ってくるものでもないし、披露宴に呼ばれるたびに安心してお食事を味わっている。ちなみに、かのビートたけしも林家三平の披露宴で3つの袋を語ったという。最後はもちろん玉袋。昨今の風潮としてはアウトだろうが、泌尿器科医としては一度挑戦してみたくもある。