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新年度になり、子どもが小学校に入学した。桜が入学式まで持ちこたえてくれたので、初々しいランドセル姿の写真を桜の木の下で撮ることができた。しかし、教科書の準備から慣れぬ登下校から午前中に速攻で終わる授業から、小一の壁がそそりたつ。これは上の子でもあったのだが、算数で使う100本を超える数え棒、そしておはじきのすべて(!)に記名しなければならない。他の子たちと混ざらないようにするためだという。自分が小学生のときはさすがそこまで厳しく言われなかった。混ざったところで自分たちで解決するような気がするが、解決しなかった事案もあったのだろう。そこに親が介入し、先生をも巻き込み、対策が練られる。そんな時代である(たぶん)。「かあさんがよなべをして〜」を歌詞ではないが、妻はぶつぶつ言いながら、深夜にお名前シール貼りをせっせと行っている。おいお前がやればいいじゃないか、と世のお母さまから言われそうだが、僕もちょっと忙しい。こっちはこっちで今小さなシールをとても精緻に貼る作業をしているのだ。
何に?ミニ四駆に、だ。
ミニ四駆――この名前に心震えた男性は間違いなく同世代である。よく行くショッピングモールに最近大きなサーキットが置かれた。そこを走る見慣れぬミニ四駆が子どもたちの興味を引き、しかしそれ以上にもうすぐ齢39になるアラフォー父の心を射止めた。サーキット脇で自分の愛車をメンテナンスをしながら、何度も走らせてはコースアウトさせてしまうその光景は、かつて僕が経験したものと全く同じであった。携帯さえなかった30年前と全く変わっていない子供たちの娯楽が目の前にある。ある一つを除いては。
それは何かというと、サーキットで遊ぶ子どもたちに、例外なく父親が一緒についていることである。僕たちの頃は、場所は地元の模型屋であったが、親がついてくるなんてことはなかった。お小遣いを握りしめて、ギリギリ買えるパーツを見極めて、愛車を改造。電池やモーターを人肌で温めながら、地元の最速を目指して仲間たちとしのぎを削っていた。でも現代の父親が過保護だというわけではない。30年前にハマっていた少年たちが父親になっただけなのだ。懐かしいTAMIYAのパーツが並んでいる光景に、子ども以上に心ときめいてしまったのだろう。僕もその例外ではなかった。昔取った杵柄ではないが、どのマシンとパーツを組み合わせたらよいか、その選択にはこちらに一日の長があるわけで、子どもに得意げに語りながら購入した。サーキットで爆走している他のマシンと並んで、さぞうちも速いのだろうと期待する子どもの目の前に、出来立てのマシンを走らせる。
が、走らない!目も当てられない遅さでゆっくり走るうちのディオスパーダ(マシンの名前です)。登り坂に差し掛かったところで、もう停止寸前。サーキットを囲む父子たちからほんのり微笑が漏れる。そして露骨にがっかりした我が子は、そのままマシンをしまいこんで走らせてくれなかった。恥ずかしい思いをしたと恨めしい顔でにらまれては、親として心が痛い。こんなところで引き下がれるかと、早速知識をアップデートすべく改造指南書をamazonで購入。大人の財布に物を言わせて、一から作り直している次第である。深夜に改造している姿にシラけている妻には悪いが、今は忙しいのだ。子どもをがっかりさせたくないという親の思い。これはもう、TAMIYAの術中である。
ふと周りを見れば、お父さんたちも細かいパーツを前に、メガネをずらして作業している。30年前のキッズレーサーたちも老眼なのだ。みんなの父ちゃんも頑張っているんだぞと、そう見知らぬ子どもたちに伝えたくなる休日の昼下がりだった。