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2月1日は東京の私立中学受験の天王山であり、この日に受験する難関校が第一志望である受験生も多い。中学受験を描いた漫画『二月の勝者』には、こんな台詞が出てくる。
「君達が合格できたのは、父親の『経済力』、そして母親の『狂気』」
僕の母も、まさに狂気的な教育ママだった。母は自身が受験を経験していなかったし、社会人になってから仕事の内容ではなく学歴で評価される現実を突きつけられたという。そういう意味合いで、受験というのは母にとってある種のリベンジでもあった。専業主婦だったこともあり、関心は仕事や趣味ではなく息子の成績だけに注がれた。どこまでも成績を上げなければならない、上位を何が何でも死守しなければならない、そんな強迫観念すら覚えていたと思うし、受験を知らないがゆえに加減というものも知らなかった。
救いだったのは父の存在だ。あまり話もしなかったが、僕の成績にはほとんど関知しなかった。微妙な力関係があったのか、正面から母を止めることはなかったが、一緒になって怒ることもなかった。両親が全く同じ方向を向いてしまうと、子どもはますます居場所を失う。「なんでこんなのができないのか」と責める親の傍らで、「別にいいじゃないか」と鼻をほじる親がいることの意味は、意外と大きい。祖父母がいればなお良いだろう。怒る親の目を盗んで、一緒に遊んでくれたり料理をしてくれたりする存在があることで、ひとりの親の価値観なんてたいしたものではないんだと学べる。核家族が窮屈なのは、この点にある。
今でも思い出すのは、2月1日の本命受験の前夜のことだ。タイミング悪く熱を出してしまった。すでに診療時間外だったが、母はいつもお世話になっていた内科の診療所に走った。当然診療所は閉じていたが、診療所には先生の自宅が併設されていた。あろうことか母はそのインターホンを押し、僕というか我が家の窮状(というほどでもないけれど)を訴え、無理に解熱薬を処方してもらった。母はそれだけ必死だったのだが、もう十分に狂気的であった。
幸い、本命には合格できた。しかしその先があった。ただ、大学受験までの6年間が追加されただけのことだった。昔、Motherというゲームは「エンディングまで、泣くんじゃない」というキャッチコピーで有名だったが、受験戦争のエンディングはどこなのかわからなかった。中学1年の4月、新入生の僕はまたもや親に引っ張られ、新たな塾の門を叩くことになる。その白い建物はプリズン(監獄)と揶揄されていた。そして今度は、同じく喜びを噛み締めた何百人という合格者の中で、また一から順位が着いた。実際、中学受験が終わると同時に、勉強に身が入らなくなる同級生も多かった。6年後、大学受験で思うような結果を出せなかった同級生もいた。でも社会人になって同窓会で再会すると、起業していたり、海外を飛び回っていたり、予想もしなかった面白い人生を歩んでいたりする。彼らが語る話は、親の敷かれたレールを行く僕のような人間のそれより、よほど機知に富んで人を惹きつける。結局、人生にゴールなどないし、人生の一場面だけ切り取って勝者も敗者もない。
昨年、解熱剤騒ぎでお世話になった内科の先生の訃報を耳にした。僕が医師になってからも気にかけていてくださったようで、近くに開院したからこそ、直接報告をしたかった。開院を楽しみにしていた寡黙な父も、他界してしまった。今は、すっかり角がとれた老いた母だけが健在だ。これを書いているのは2月5日、まだ受験が終わっていない小学6年生もいるだろう。『二月の勝者』のハイライトは、どこからも合格をもらえなかった男の子を、先生たちが最後の受験校の前で送り出す場面だ。どうか、その経験を長い人生の糧としてほしい。
『二月の勝者』のタイトルの意味を、あの漫画は簡単に明かしてくれない。苦手な国語を前に目が泳いでいる息子を、「なんでこんなんわからんの。ここに書いてるじゃん」と怒っている自分の姿に、狂気の萌芽を見出す。僕はいつになっても「二月の勝者」にはなれないのかもしれない。