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今までアルバイトも含めて様々な病院で診療してきたが、もちろんそこにある器具や薬剤を使って治療をしてきたし、そこに文句はつけない。弘法ではないので筆は大いに選びたいのだが、郷に入れば郷に従うのが筋だ。「僕はあっちの方が使い慣れてるんだけどな」みたいなことをつぶやくと、ろくなことにはならない。看護師さんに白い目で見られる。導尿しますといえば、その場にあるカテーテルを看護師さんが持ってきてくれた。縫合糸は何かありますかといえば、持ってきてくれた。使い慣れたものではなくとも、こんなものもあるのかと新鮮に思えることもあった。色々な病院で仕事をするメリットはここにある。我流を通さなくなる。そして当たり前の話なのだが、この開業準備を進めるクリニックには、ガーゼ一枚カットバン一枚、発注しなければ何もない。今は「あとガーゼがありません」と卸業者さんに言っても、そこのカタログを見て型番をくださいと言われる。ううと思う瞬間もなくはないけれど、きっとこの作業は開業する今しか体験できない。
高校生のときに読みふけった村上春樹の『国境の南、太陽の西』という小説にこんな一節があった。
「僕は自分の頭の中にできあがっていた新しい店の具体的なイメージをデザイナーに細かく伝えて、そのとおりに図面を引かせ、できあがったものにまた注文をつけ、図面を引きなおさせた。それが何度も何度も繰り返された。僕は材料をひとつひとつ吟味し、業者に見積もりを出させ、その品質を値段によって細かく上げたり下げたりした。洗面所の石鹸台ひとつを決めるのに三週間もかけた。三週間、僕は理想的な石鹸台を求めて東京じゅうの店を歩き回ったのだ。そういった作業は僕を文字通り忙殺した。でもそれがまさに僕の望んだことだった。」
当時は店を作るとはどんなものかピンと来なかったけれど、今はこの気持ちがすごくよくわかる。何もないところから場を立ち上げるのって大変だけれど楽しい。そして、お金を払わなければモノは揃わない。尿道カテーテルの納入価も知らずに診療していた自分を恥じている。
さて今は、シンクのスポンジ置きを求めて、アマゾンの中を調べ回っている。ジェフ・ベゾスのおかげで、もう東京じゅうを歩き回らずに済む。たかがスポンジ置きと侮ることなかれ。家に置くものは妻が決めるものであって、一般的に夫には決定権はない(ですよね?)。だからこそクリニックに置くものは、些細なものであっても選ぶのは案外楽しい。ネットで見つけた棚を組み立てて、妙に張り出した梁のせいでできた不整形なスペースにぴったり収まった瞬間、結構気持ちがいいものだ。これは小さな幸せである。