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高校生のときに、よくケンタッキーにお世話になっていた。フライドチキンのKFCだ。代々木にある鉄緑会という受験塾に通っていたのだが、これがまあ宿題量が半端なかった。学校の授業中に宿題を内職する姿は、企業戦士さながら「鉄緑戦士」と揶揄され、決して褒められたものではなかった。一貫して帰宅部であった僕は、学校の授業が終わってから塾が始まるまで、結構時間があった。普通なら学校の図書室や塾の自習室などで勉強するのだろうが、周りが一生懸命勉強して鉛筆の走る音しか聞こえない、あの張り詰めた雰囲気がどうしても苦手だった。ざわざわしている方が心地よかった。かといって、今風にスターバックス(あったかな、あの時代)などでは高校生の小腹は満たされない。そうやって落ち着いたのが、新宿駅南口にあるケンタッキーだった。地下のはじっこの席に座って、ひとり自習をしていた。巨大ターミナルのケンタッキーは、おやつ時でも常に混んでいて、自習室とは対極にある環境だったけれど、雑音は混ざってしまえば気にもならず、不思議と集中できた。うるさい母も優秀な同級生たちもいない空間での、ツイスターとポテトとコーラと勉強のセットは、割と好きだった。宿題にも飽きたら、小説を読んでいた。スマホがない時代に受験生でよかったと、つくづく思う。スマホを絶って勉強するほどの胆力は、今もない。
クリスマスが近づくと、ケンタッキーの店舗には、ある楽曲が必ず流れる。夕方4時を知らせる夕焼け小焼けのように、律儀に。竹内まりやの『すてきなホリデイ』である。「クリスマスが今年もやってくる〜」というサビの歌詞は、CMでも耳にした人が多いだろう。毎年のことで、すっかりイントロから頭に叩き込まれてしまった。「悲しかった出来事を消し去るように」と歌詞は続く。受験勉強そのものに、辛いとか悲しいとか、あるいは楽しいといった感情をあまり持ったことはないけれど、さすがに受験年のクリスマスの喧騒は、2月の入試本番の足音にしか聞こえなかった。そこに重ねるように、山下達郎の『クリスマス・イブ』も流れてくる。12月いっぱいは、竹内・山下夫妻の曲がぐるぐるとリピートされるのだ。さらにワム!の『ラスト・クリスマス』や、マライア・キャリー、広瀬香美あたりが挟まってくる。クリスマスソングは毎年量産されているはずなのに、この20年ほど、日本の街角に流れる曲はがっちり固定されているのだろう。クリスマスには、ノスタルジックな気分も大事なのだ。ああ、あの曲、と思えるイントロも大事である。昨今のJ-POPのように、イントロを省かれても困ってしまう。
新宿駅の南口は、今でこそバスタができてすっかり様変わりしてしまったが、昔は東口や西口に比べれば、NTTのタワーだけが目立つ、割と寂しいところだった。しかし冬のシーズンだけは、サザンテラスがイルミネーションに飾られ、人通りが多くなった。塾帰りに歩くと、恋人たちとぶつかって歩きにくい。なんだってこんな寒い夜に、線路にかかるペデストリアンデッキを好んで歩くのか、と小さく悪態をつきながら、とぼとぼ歩いた。そのころは、大学に上がれば自分のクリスマスにも、もう少し彩りが生まれるのだろうと思っていた。しかし、クリスマスがなんとなく苦手だという意識は、大人になっても払拭されなかった。ついぞ、それらしいデートをした記憶もない。むしろ、クリスマスの人波が引いて、正月を迎えるまでの短い閑散期に街を歩く方が、性に合っていた。
いまでは、子どもたちが僕の携帯をふんだくって、クリスマスプレゼントをAmazonのアプリから調べている。親サンタに、好みでもないものを枕元に置かれるくらいなら、自分でポチっとした方がいいというわけだ。ちなみに彼らには、他のお友だちが行っていても、うちには夢の国(ディズニー)なんてものはないんだぞ、とも伝えている。ずいぶんとプラクティカルに生きてもらっている。冒頭のケンタッキーだって、あのパーティーバーレルには、なかなか手が出せず憧れがあった。家族ができて、クリスマスに勇気を出して買ってみたけれど、もちろんチキン2個くらいで満腹になった。子どもたちは美味しい皮だけ食べた。
クリスマスも、遠きにありて思うものである。