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全国的にクマの襲来が問題となっている。庭先でツキノワグマやヒグマにばったり出くわしたら、致命的な事態である。僕は一度ヒグマと遭遇した経験がある。小学1年のときだが、従兄弟に連れられて北海道の山奥にキャンプに行った。ぎりぎり一台の車が通れるかという山道で、2頭の子熊を連れた母熊と鉢合わせた。急いで窓を閉めて目をつむった。本気で向かってこられたら、車ごと崖下に突き落とされかねないような細道だったからだ。薄目を開けたら、幸いあっちの母熊もはっとした顔をしていて、再び森の中に姿を消した。結構強烈な記憶である。登別のクマ牧場で愛らしいヒグマを見るのとは緊張感が違う。ありがたいことに埼玉にある我が家の周辺ではそんなニュースは聞かないのだが、熊とは別に、日常的に遭遇して我が家に阿鼻叫喚の事態を引き起こすやつがいる。
カメムシである。いや、熊に比べればずいぶんと可愛いかもしれない。しかし、妻のG(ゴキブリ)恐怖については前述した通りだ。ある特定の虫と相対すると、ある一定時間行動不能になってしまうのだから、熊ほどではなくとも家庭にとっては由々しき問題なのだ。今度の敵はカメムシ——ここでは「C」と呼称したい。妻の実家はリアス式海岸沿いの自然あふれる港町であり、都心育ちの僕にとっては、妻の学童期の過ごし方を聞くとずいぶん様相が異なるもんだなと思う。放課後に少し歩けば森や海で遊べるのだから、子どもの成長にとって理想的だ。にもかかわらず、そんな健やかな環境で育ったはずの妻は、大人になってみれば筋金入りの虫恐怖症(エントモフォビア)である。
我が家のベランダに襲来してくるCには、大別すれば2種類いる。緑色の小さめのC(ツヤアオカメムシ)と、灰色の大きなC(クサギカメムシ)である。前者だって十分に脅威ではあるが、よく見ればなんだか艶めいているし、目立つので気づきやすい。問題は後者だ。洗濯物や床と容易にカモフラージュされるし、立派な六脚のせいか実物以上にデカい印象を受ける。色も灰と黒のまだらで、お世辞にも可愛いとは言い難い。「いかにも虫」という風貌は、見つけた瞬間の破壊力が違う。
Gは水回りを足掛かりに静かに侵入してくる。対してCの侵入経路は正面突破である。外干しの洗濯物にしれっと張り付いて、堂々と家内に取り込まれるのである。そして、いったん洗濯物の山の中に身を潜める。その後、ご丁寧に特有の匂いで自らの存在をほのめかしてくる。Cへの感度が高い妻は、すぐにその匂いを察知する。慢性副鼻腔炎のせいでいまいち鼻の効かない僕にはよくわからない。「でもそこにいるよ、いる」と言われると、見えないだけに貞子のような気味の悪さがあるわけで、こっちは元々虫が苦手ではなかったのだが、なんとなく恐ろしく感じてきてしまう。そのせいか子どもたちも総じて虫嫌いである。
結局その場で一生懸命探してもすぐには見つからないのがCなのだが、帰宅するとリビングの床で静かに事切れていることもある。「やっぱりいたんじゃん」ということになる。そしてGと大きく異なる点は、見つければ殺虫剤を噴霧すればよいというわけではない、ということだ。刺激を与えると断末魔でも悪臭を放つという。昔、周辺にCが大量発生しているホテルに宿泊した時には、窓も開けていないのに、のそのそ壁や床を歩いていた。そして部屋にガムテープが置いてあって、「これにくっつけて優しくまるめてゴミ箱に捨ててください。つぶすと臭いが充満します」と注意書きされていた。つぶさなくてもガムテープで動きを封じられたら、彼らにとっても相当なストレスだし、臭いだって放つのではと思ったのだが、真実はよくわからない。
というわけで、家の中に入り込んでじっとしているCは、優しく拾い上げて再び空に放つということをしている(僕がいれば)。平穏である。そう考えれば、あの悪臭は彼らの立派な生存戦略なのだ。無用に攻撃されずにすむのだから。ただ、僕がいないところでは、おそらくカメムシコロリやゴキジェットPROが火を噴いていることだろう。妻には悪臭も効かない。昨今のクマにスプレーが効かないように。それもまた、Cの運命というべきか。