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「家事が好きだ」なんて言ったら、妻から「もっとやれや」と怒られそうなものである。表立ってそう公言する人は少ないだろうが、内心では「自分は他の家庭の男性よりやっているほうだ」と思っている人は、案外多いのではないだろうか。とはいえ、こう言ってはなんだけれど、「家事が得意」と話す男性を真に受けない方がいい。男性が思い描いている家事の範囲は、しばしば驚くほど限定的である。昔、『今週、妻が浮気します。』というドラマがあった。共働きの妻と家事を分担していると豪語する夫(ユースケ・サンタマリア)が、実際にやっていたのは朝のゴミ出しだけだった。そして職場と子育ての悩みを抱えた妻(石田ゆり子)は、相談に乗ってくれる仕事のできる男性と恋に落ちてしまう。
でも家事は、好き嫌いの前に、僕は身体に良いと思っている。朝起きたらさっと顔を洗って、シェービングクリームをたっぷり使って髭を剃る。ここでまた手元にあるスマホを手にとってしまってはいけない。スマホを眺めても、昨今のSNSはおすすめの動画が延々と提示されるせいでエンドレスだし、せっかく温かい布団から這い出たというのに頭と体がまた麻痺してしまう。一方で仮にスマホを絶っても、コーヒーを飲みながら一息ついていると、To Do リストとか懸案事項とかいう名の蜂がぶんぶんぐるぐる頭の中を掻き回したりしてくるので、そうであれば、いっそ体を動かしてしまった方がいい。子どもたちによって無限に散らかっていくリビングを掃除したり、米を研いだり、洗濯物を干したり畳んだり、皿を洗ったり、靴を磨いたり、アイロンかけたり、なんでも良いのだ。
外を走っている人にはわかると思うけれど、どんなに毎日走っている人でも、走り始めから全力では走れない。それができればプロだろう。いつも走っている道、同じ距離でも、最初は体が重たいのが常だ。だから少し抑えて入る。最初の1kmなんて特に辛いから、規則正しい呼吸と小さな着地音だけを考える。そうするとじわじわと体がほぐれてきて、ふっと体の重さを意識しなくなる瞬間が来る。もう少しペースを上げてみようかなという気分になってくる。これを待たずにペースを意識的にあげると、すぐに疲れがやってきて長く走れない。逆に内から自然と湧き上がるペースアップは疲れない。歯車が噛み合う感じである。そして、それでもすぐにはペースを上げない。身体が早く走りたがっても手綱を緩めずに、緩徐なペースアップに努めると、自ずと長い距離が走れるようになる。
一日の始まりも、それと一緒かなと思う。朝起きて伸びをしたらスッキリという日は、一年でそうそうあるものでない。動いていない頭を尻目に、単純な労働をする。スマホなんて見てはいけない。昨日のお皿や取り込まれたままの洗濯物を前に、「ああ、寝る前にやっとけばよかったな」とか考えてもしょうがない。ただ体を動かすだけである。星野源だって、ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の主題歌『恋』で「意味なんてないさ、暮らしがあるだけ」って唄っている。意味を求めてもしょうがない。ピンボール台のフリッパーのように、日々すぐに落ちてくる玉をひたすら上に打ち返すだけである。生産的ではなくとも、家庭がそれで維持される。
単純労働で体を温めれば、「よし、仕事に行くか」と思える瞬間が来る。そこでふと頭をよぎるのは、皆さまも一度は読んだことのあるマンガ「日本の歴史」第1巻の旧石器時代のパートだ。長野県の野尻湖で発掘された黒曜石のヤジリを持って、落とし穴に落ちたナウマン象と格闘する旧石器人。仕留めて肉をその場でさばき、家に持って帰る。僕にとっての仕事ってそんなイメージなのだ。今日明日の食い扶持を確保し、家族を養う。それに尽きる。そこに、やりがいやら満員電車やら自己実現やら相互評価やらKPIやらワークライフバランスやらよくわからないものが入ってくるので、いよいよ憂鬱になるのだろう。ナウマン象を仕留めることはもうないかもしれないけれど、家事は旧石器時代から変わらずある。このAI時代も、まだ家事は人間の手から取り上げられていない。掃除ロボットのルンバを導入しても、ルンバ様の通行のためにお片付けしなければならず、掃除はなくならない。歴史の風雪に耐えてきた家事は大事なのだ。
この原始的な家事からまた一日を始めよう。妻に今週、浮気されないように。