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14時46分、その瞬間は東京駅の山手線のホームに立っていた。大きな揺れが長く続き、天井から大量のほこりが舞い落ちて、視野が白くなった。地震慣れした日本人でもさすがにこれは―と、みな顔を見合わせていた。電車は動く見込みが立たないというアナウンスを背に、丸の内のオフィス街に出た。三菱の高層ビルが林立する場所だ。上層は揺れが大きかったのだろう。ヘルメットをかぶって外に避難している人が多かった。しかし全面ガラス張りのビル群を見上げると、大きな破片でも降ってきそうで、外にいることの方が危ないようにも思えた。外資系企業も多い場所であり、外国人のオフィスワーカーも数多く見かけた。でも東京の中心地は、目に見える限りでは大きな被害は感じられなかった。
感覚が鈍っていたのだろう。元々予約していた神田の床屋に向かうと、当然ながらびっくりした顔をされた。もちろん門前払いされて、とぼとぼと母校であるお茶の水の東京医科歯科大学に向かった。スマホの検索は重くて使えなかったから、大学のLANにつながったパソコンで情報を集めた。yahooなどのポータルサイトではあまり有益な情報は得られなかったが、東北沿岸を襲った津波の様子をどこよりも早くBreaking newsとして流していたのはCNNだったと記憶している。火をまとう黒い津波が港を呑みこんでいた。都心の電車が終日動かないと知ったのはそれから間もなくだった。
この時はまだ帰宅困難者という言葉も知られていなかった。東日本大震災において首都圏に500万人を超える帰宅困難者が出たことによって表面化した問題だからだ。今でこそ大地震の時は「帰らない」選択をするよう政府が呼びかけているが、そのとき実家暮らしの大学6年生の僕は、のんきに埼玉に帰ろうと思った。調べても、まあ歩いて4時間ちょっと。御茶ノ水駅を少し離れると、すでに人の流れができていた。南北線の直上を歩くような形で、東大赤門の前を通りすぎ、駒込の六義園と旧古河庭園を横目に見て、王子の飛鳥山公園を抜けていく。桜が咲いていれば綺麗だったかもしれない。皇居(かつての江戸城)を中心として、その北側を城北、南側を城南というが、城北の山手線・地下鉄の駅はこういう位置関係なのだというのが歩いてみるとわかる。
この城北と城南、言い換えれば中央線より上か下かということなのだが、これは全くの私見なのだけれど、人によってどちらに魅力を感じるか、わりとはっきり分かれるのではないかと思っている。僕はというと、渋谷とか下北沢、自由が丘、麻布、品川みたいな街とはどうにも縁がない。用事があって足を運ぶことがあっても、ここは自分が気持ちよく歩ける場所じゃないなという感覚がある。逆に城南エリアになじみのある方は、城北の池袋とか巣鴨、上野、赤羽なんぞ行けるかいと思うのではないか。断言は避けたいけれど、少なくとも傾向としては確実にあるんじゃないか、そんな気がしている。みなさまはどうでしょう。
さて、不謹慎極まりないのだが、僕はこの夜行をひっそり楽しんでいた。途中までは『ノルウェイの森』で直子が歩いた道のり(※1)だったからだ。スマホは全くつながらず、道すがら立ち寄ったコンビニにはきれいに食品がなくなっていたが、その横にあった公衆電話から自宅につながった。王子駅をすぎてからは赤羽岩淵駅を目指し、新荒川大橋を渡った。荒川を徒歩で渡れるルートは限られているが、昨今言われている群衆雪崩が起きそうな危ない雰囲気はなく、みんな整然と北を目指して歩いていた。近くにはかつて医学部の授業で荒川の水を汲み取りに行った岩淵水門が見えた。荒川を渡れば、埼玉県だ。川口からはただ電車沿いに歩けばよかった。
翌週の卒業式は、証書をもらうだけの非常に簡素なものとなった。謝恩会もなくなった。時折計画停電があった。落ち着かない中で、春からの研修病院がある三島に向かう必要があった。中古の格安軽自動車は購入できた(もっとも、9ヶ月後に国道1号の交差点のど真ん中でエンストを起こして、警察のお世話になりそのままお釈迦になるのだけれど)が、高速を走るためのガソリンが入手できなかった。とはいえ、これらは取るに足らない話だ。東北で現在進行形で起きている現実に比べれば。
未曾有の大災害によって、大学6年間の最後は、慌ただしさの中にふわっと霧散するように終わった。三島に居を移すと、首都圏からそう離れてもいないのにとても静かで、東京の浮き足だった喧騒は嘘のようだった。三島は富士山の雪解け水が伏流する良い土地だった。当時は車の運転にも不慣れで億劫だったため、少し遠くてもよく歩いた。至るところに、小川のせせらぎが聞こえる街だった。
歩く。あの晩の出来事と三島の散策路を思い出す。
外を歩きたくなる桜の季節。へたってきたシューズをこれから買い替えに行こうと思います。
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※1
しかし散歩というには直子の歩き方はいささか本格的すぎた。彼女は飯田橋で右に折れ、お堀ばたに出て、それから神保町の交差点を越えてお茶の水の坂を上り、そのまま本郷に抜けた。そして都電の線路に沿って駒込まで歩いた。ちょっとした道のりだ。駒込に着いたときには日はもう沈んでいた。穏やかな春の夕暮だった。
「ここはどこ?」と直子がふと気づいたように訊ねた。
「駒込」と僕は言った。